二人は東京の下町にある戦災を受けた白木屋デパートの三階の片隅の小部屋で、自動炊飯器作りに取組んでいました。
二人は井深大と盛田昭夫という名前です。
彼らは炊飯器を全部で百台作りました。
その炊飯器ではしょっちゅう飯が焦げたため、結局一台も売れなかったそうです。
倒産を避けるための資金が必要になって、二人は勇を鼓して、酒の醸造元である昭夫の父親からそれを引き出しました。
やがて二人はソニーを設立することになります。
二人は東京の下町にある戦災を受けた白木屋デパートの三階の片隅の小部屋で、自動炊飯器作りに取組んでいました。
二人は井深大と盛田昭夫という名前です。
彼らは炊飯器を全部で百台作りました。
その炊飯器ではしょっちゅう飯が焦げたため、結局一台も売れなかったそうです。
倒産を避けるための資金が必要になって、二人は勇を鼓して、酒の醸造元である昭夫の父親からそれを引き出しました。
やがて二人はソニーを設立することになります。
一人、かつてのビジネスマンがいます。
51歳(ふつう日本では定年を4年後にひかえた年齢である)の彼は小作農の息子で、戦前はモーターその他の電気機器を作る大きな会社を経営していました。
そして今、彼はラジオなどの音響機器を生産する計画を立てているところでした。
その名は松下幸之助、彼に広く鳴り響く前途があるとは思えませんでした。
エレクトロニクスに関しては素人の二人の青年がいました。
日本海軍の研究プロジェクトから解放されたばかりで、資本らしいものといえば古ぼけたダットサン・トラック一台だけだったのです。